2015年5月20日、Zeppブルーシアター六本木。
ももいろクローバーZ主演の舞台「幕が上がる」の会場は、おそらくモノノフが多数いるはずなのに、いつものライブとは違って、サイリウムも、カラフルな応援グッズも、メンバーカラーのTシャツもない、普通の芝居の会場の風景に包まれていました。
開演前のステージでは、役者さんが舞台上で演技を披露する「0場」(ゼロば)と言われている演技が行われていて、観客もそれを楽しみに、早い時間から着席して、0場に見入って静かに開演を待っていました。
自分も開演30分前に入場して、パンフレットを購入してすぐに着席したのですが、その時点で既に客席は7割ほど埋まっていたと思います。
それにしても、恐らくモノノフたちは、普段芝居を見ない人も多いはずなのに、事前に情報を得て、ももクロの出演するライブであれ、芝居であれ、映画であれ、しっかり楽しもうとする姿勢や順応性はさすがだと思う。
だから客席だけを見れば、完全にホームの雰囲気なのですが。
しかし、開演して、ステージを見ているうちに、自分の中に、違う感覚が浮かんできました。
理由は簡単。
目の前で繰り広げられている舞台は、アイドルが主演していることなどみじんも感じさせない、完全にシンプルな演劇だったからです。
ももクロの人気におもねる内容ではなく、メンバーの演技も、アイドルというフィルターを忘れてしまうくらいのしっかりしたもので、その姿は、モノノフの自分から見れば、舞台演劇という、アイドルが勝負する場としては完全なアウェーの場で、彼女たちが果敢に奮闘している、そういうふうに見えました。
そして、約2時間の舞台が終わって。
鳴り止まない拍手の中、客席に深々とお礼をするすべての出演者たちは、そこにももクロのメンバーがいることを忘れてしまうくらい、完全に舞台の役になりきっているように見えました。
そして、この舞台を作った、本広克行さんと平田オリザさんの「本気度」に驚きました。
変な言い方ですが、これほどまでに完全な「演劇」に仕立てていたとは思っていませんでした。
あーりんがゲネプロ時のインタビューで言っていたように「いつか『走れ!』を歌わされるんじゃないかと恐れています」というように、自分も考えていました。
そんな、ももクロであることを思い出させるような演出が散りばめられているように予想していましたし、映画「幕が上がる」では、事実そうした「ももクロであることを連想させるネタ」が随所に埋め込まれていたからです。
でも、この舞台は、映画の「幕が上がる」とは全く違っていました。
映画では、ももクロ感とでもいうべき要素が散りばめられていましたが、この舞台ではそれが全くなく、観客以外は完全アウェーの状況の中で、彼女たちは短い期間に稽古をし、そして、立派な舞台を作り上げました。
恐らく彼女たちは、今回も、過去何度もさまざまな難題を乗り越えてきたとき同様、まっすぐに挑んで、正攻法で課題を乗り越えてきたんだろうと思います。
そして「アイドルがやる芝居はこんなもんだろう」という固定観念なんか度外視して、それ以上のクオリティの演劇を作り上げたんだと思います。
だから、観終った時、自分は「感動」したというのではなく「感心」しました。
「やるなあ」
と、思ったのです。
そうか、ガチンコのアウェーの場では、こういうふうに戦えばいいんだ。
小細工や固定観念やちんけな想像や、起こるかどうかわからない失敗を想像して気にすることや、周囲がどんなふうに自分たちを見るのか、なんて考えないで、ただひたすらに真っ直ぐ、愚直に物事にぶつかってみればいいんだ。
それを気づかされました。
そして、そのようにしている彼女たちを見て、見事だなあ、と感じたんです。
平均年齢20歳の今のももクロは、もはや未熟な勢いだけのアイドルではなく、着実に、少しずつ成長して、今、確かな実力を身に着けつつあるタレントなのだと思わされました。
そして、映画、この舞台と経験した彼女たちの、またもややってくる暑い夏の祭りを楽しみにしたいな、と改めて思いました。
エコパスタジアムでの桃神祭。
今日の舞台とはまた違う、カラフルでアツくて熱狂のステージ。
それこそが彼女たちのホームなわけですが、この強烈なアウェーの経験を取り込んで成長した彼女たちの今年の夏が、さらに楽しみになりました。
それにしても、本当にいい演劇作品でした。
幕が上がる 豪華版 [Blu-ray]
[2015.05.23]